ブラジル移民の長男として生まれた藤川正恒(現会長)は、
幼い頃から故郷天草のこと、そして天草四郎の物語を聞いて育つ。
そして憧れ続けた故郷天草への帰国が叶い、初めてその地を踏む。
まさにその年、日本で初めての「離島新興法」が制定される。
「これからは、皆が学校に進む時代になる」と、
学生服の販売を中心に広く日用品を扱う事業を始める。
当時の天草は全てが定期船での往来であり、
将来この地への往来が爆発的に増えるということを、
まだ誰も想像していなかった。
天草五橋はその後1966年に開通の日を迎える。
天草を目指してくる観光客がまず先に立ち寄る島であるこの大矢野島は、当時は通り過ぎる場所であり、週末には天草の景勝地に向かう長い渋滞の列が絶えなかった。
道の駅などの物産店もなく、モニュメントもない。そんなこの町に根付くたくさんの歴史風土の資源を余すことなく堪能できる一つの村をという願いを込めて、「藍のあまくさ村」が誕生する。
日本一の天草四郎像を始め、ちくわ工場を併設、直売を行うなど、これまでなかった発想を詰め込んだこの場所に、多くの観光客が集うことになる。
この年より毎年2月28日を「天草四郎供養祭」として、天草島原の乱に亡くなった3万7000人余りの御霊の供養を行なっている。
これまで前例のなかった天草の生産者・加工業者との協業を開始。
それまでは「天草の旅の思い出」を提供していた「藍のあまくさ村」は、ここから「天草のおみやげ専門店」へとさらなる変遷を遂げる。
そもそも原料として市場に卸すことがメインの地元の生産者は、小分けした商品を作るノウハウがなかった。そこで当社で商品を袋詰め、箱詰めすることを条件に、更には全て買取の取引を開始。生産者さん・加工業者さんには製造リスクがなく、お客様には鮮度と他社にはないユニークな品揃えが好評となり、「天草おみやげ専門店」となっていった。
イタリア語で「島」という意味を持つ「リゾラ」を冠した、リゾラテラス天草を天草、前島に開業。
これまでの天草と言えば、団体旅行で訪れるお客様に向けた観光サービスが主流であったが、徐々に増えてきた個人旅行のお客様に対して、全く違う角度で天草の景観、味覚、そしてアクティビティを楽しんでいただくための場として開業。
雲仙天草国立公園内に立地し、大小120余りの島々・天草観光の始まりだった天草上島は、天草クルーズの始まりの桟橋、シーカヤック・観光宿泊施設が集積するこのエリアの誕生によって、これまで経由地だった天草観光の目的地として存在感を放つようになった。
完全無農薬で、種から育てる野菜をお客様のお皿に届けたい。
そんな想いで自社農場「リゾラファーム」を開設。
地元の豊かな素材が育つ土地に根ざし、そこで新たな種をまく。
土づくりから丁寧に。目に映る景色だけではない本質的な豊かの実現を目指しています。